永久2年に鳥羽天皇の勅願により興福寺大乗院頼実が建造したお寺で、 当時は52坊を誇っっていました。しかし廃仏毀釈で廃寺となり、 南北朝時代に後醍醐天皇が吉野遷幸の時に立ち寄ったとされる 萱の御所跡と本堂池だけが今も残っているだけです。